理系のキャリアを再考しつつ、色々と考える日記

少し変わったキャリアを歩んでしまった人が日々思うことをつらつらと書くblogです。

なぜ英語を勉強するのか?

英語を勉強していると言うと、次のようなことを聞かれる

 

1) なぜ英語の勉強をするのかと聞かれることがある。

2) 英語を勉強しているのに海外旅行には行かないのか。

3) トーイックのスコアは。

 

1) なぜ勉強しているのか、この問いに対する答えは非常に難しい。仕事の為と答えるが、考えてみるともっと複雑な要因が潜んでいる。2) も難しい、お金がないと答えるが、これも正しく答えいるようで深く考えると違う。3)はスコアを答えると、ふーんとなる。なぜ勉強するのか、少し深く考えてみたいと思う。

 

なぜ英語の勉強をするのか

 

確かに仕事で英語を使う場面があるので勉強は必要だ。しかし、仕事で大きな支障がないレベルには達していると自負しているのでこれ以上のレベルにあがるために熱心に勉強する必要はない。(海外とのやり取りの大半は時差がある為、メールが大半であるし、会議が沢山あるような役職でもないので。)よって、むしろ、他の分野、業務で必要な知識に注力するほうが実務的であろうとも思う。したがって、よくよく考えてみると、仕事で使うから勉強しているという答えは若干おかしいような気もする。差し迫って身に着ける必要がないのに、なぜ必死になっているのであろうか自分でも不思議に思うことがある。そこで以下3つの理由を考えてみた。

A) 将来必要になるから

B) 海外の情報をスムーズに獲得したいから

C) 英語の勉強が好きだから

A)は確かにそうだが、現状の業務で英語に触れる機会があるため仕事を通しても必要な英語力は身に着けることができる。 B)は、既に海外のニュース、雑誌から情報獲得できているし、最近は翻訳記事も早いのであまり意味がない。C)別にそこまで好きかと言われるとそうでもない。こう考えてみると、明確な理由はないような気がする。よって、何か潜在的な理由があるはずである。

考えてみると、

中学校で英語の授業が始まったとき英語は嫌いだったし、テストの点数も悪かった。高校になると、受験で必要ということがわかった。それも先生は受験で英語は重要と言う。勉強しないといけないと思った、しかし、しなかった。しかし、ある時、偶然、野口教授の書いた超勉強法という本にで出会った。(国語の夏休み宿題用の問題集の文章が、超勉強法からの抜粋であった。タイトルが印象的だったので覚えていて、たまたま古本屋で見かけて購入したのである。)そこに、英語はとりあえずテキストを20回音読しとけばOKと書かれていた。(他の記事も興味深かったが。)そうすると、超勉強法で書いているように、定期テストの点も模試の点数も驚く程よくなった。教科書を本当にただ声に出して読むだけである。衝撃的であったことは覚えている。そして、点数がよくなったという成功体験のおかげで、英語は良い大学に入る為の味方だと考えるようになった。正直、恥ずかしながら、高校入学当初の私の英語力は今の大学に入れるレベルでさえなく、地方の私立大学に受かるかさえ怪しいレベルだった。しかし、英語の成績が良くなったおかげで国立大学を受験できるレベルになったし、上京できるようなレベルになった。英語のおかげで、今までの自分では考えられなかった道を切り開けたような気がしたと思う。(できる人から見たら失笑もののレベルですが...)大学でも英語のサークルにはいってみて(活動内容はマニアックなので割愛)、就職活動でも苦労といった苦労もせず内定をもらえて、非常に有利に働いた。

英語はいつも自分の味方、知らないうちにそう考えていたのである。英語はいつも自分に有利になってくれて、新しい道を開いてくれる。英語は常に味方であってほしいし、これからも味方になってくれると、心のどこかで考えているみたいだ。

私にとっては英語は、コミュニケーションツールでもなんでもなく、新しい世界を見せてくれる味方なのである。味方は常に頼もしくあってほしいし、自分でその手助けができるなら進んでする。だから英語を勉強するのである。実際問題は、何か明確な目的があるわけではなさそうだ。。

だがひょっとすると、製造業から脱却できない日本経済の様に、過去の成功体験に縛られて英語の勉強を続けているのかもしれない。