理系のキャリアを再考しつつ、色々と考える日記

少し変わったキャリアを歩んでしまった人が日々思うことをつらつらと書くblogです。

ムーアの法則に支配されるメーカー

 近代的な仕様を持って設計された商業コンピュータが世に出た1950年代、IBMの経営者トーマス・ワトソンは「世界にはコンピュータの需要は5台ある。」と言ったそうだ。(これは本当かはわからないが、逸話として残っている。)日本に関して言うと、この時代はコンピュータどころではなく戦後復興に忙しい時期であった。歴史の教科書に載っている焼け野原の日本(白黒写真!!)を見ると、確かにこの時代にさほど需要はなかっただろうといった事は想像できる。

 そして、インテルの共同創業者であるゴードン・ムーア氏は1960年代に「CPUの性能は年々、倍々ゲームで向上していくであろう」、と予測した。この経験則は、ムーアの法則と言われる。70-80年代とコンピュータはムーアの予測通りに進歩していき、金融機関、官庁をはじめとする封建的な会社で採用されていった。用途は事務処理である。現代の様にITがサービスを提供するといった側面はこの時代にはなく、もっぱら機械的作業を肩代わりしてくれる便利な計算機として導入されていった。

 余談ではあるが、私は80年代の設計資料を見たことがある。非常に興味深いものであった。フローチャート手書きであるし、もちろん設計書もすべて手書き手書きで書いたものを、専用端末で誤りがないように入力していったそうだ。また、ソースコードも方眼紙のようなものに記載し、それを正確に入力していく...といった作業を行ったいたそうだ。

 この時代では大企業ではコンピュータの利用が推進されていたものの、個人レベルではまだまだであった。個人にコンピュータが身近になっていくには90年代からである。私の記憶では90年代は一般家庭には所謂Windowsのパソコンの普及率は高くなかった。代わりに、どの家庭にもコンピュータゲーム、ファミコン・スパーファミコンゲームボーイ・PSがあった。CPUの性能は現在のものと比較して驚く程低かった。ポケモンは150匹が限界!!それ以上詰め込むと、容量が足りないのである。

 2000年代に突入すると、どの家庭でもWindows OSがインストールされたパソコンがあり、また携帯電話(ガラケー)を持つ人も増えてきた。インターネットも一般の人も使用するようになってきた。もちろん、ポケモンも1つのゲーム機で扱える数が増えていた。驚くべきことは、2000年時に一般家庭に普及していたコンピュータの性能は80年代の大企業のものより高性能である事である。ついに、個人が大企業と戦える時代になったのである。2004年の前後では、IT社長が世間の注目を浴びた。ホリエモンが活躍したのもはまさしくこの頃である。ムーアの法則通りにコンピュータの性能が向上していなかったならば、俗に言うヒルズ族だの、ホリエモンだの、インターネットベンチャーは誕生していなかった。

 ムーアの法則により個人が大企業と戦える土壌が整ったからこそ、彼らIT寵児が誕生したのであろう。この時、日本の携帯電話は独自の進化を遂げていた。特にカメラの性能は向上し、写メールなるものも可能となっていた。今では考えられないかもしれないが、xxxピクセルのカメラが携帯に搭載されたとニュースで話題になったりした。これからは携帯でなんでもできるようになる、もちろん携帯の革命を牽引するのは日本の電機メーカーだ!と私は思っていた。

 この頃、オーストラリアに行った。現地で販売されている携帯電話が高画質なカメラもなく、ただの電話機能しかないのを見て、日本企業の技術力の高さを知った。やはり、これからは日本メーカーが世界を牽引すると。(実際はそうはならなかった。)

 そうこうしている内に、MSはWindowsの新しいバージョンを着々と出していた。日本の会社は、ポータブルオーディオプレイヤーならこれ!、携帯電話ならこれ!、ゲーム機ならこれ!とそれぞれが独自に、高性能・高機能で進化していった。

 気づけば、AppleiPhoneをリリースし、パソコン・携帯電話・オーディオプレイヤーは1つのデバイスで代替されるようになってしまった。確かに、CPUの性能が向上しているのであるので、わざわざ複数のデバイスにせずに、1つのデバイスですべてを賄うといった事はごくごく自然な考えではある。しかし、日本のメーカーは全てを集約せずに、それぞれのデバイス毎に進化してしまっていた。なぜこうなったのか、今考えてみれば不思議な事ではあるが...そして、ムーアの法則通り、CPUは十分なほどの性能向上を達し、コモディティ化してしまい、半導体メーカーは熾烈なコスト競争での戦いを余儀なくされた。

 日本の電機メーカーは半導体の不振に苦しみ、そして高い技術力を独自路線に集中させていた為、競争力はなくなってきた。もはや、町で見かける製品は海外メーカーのものである事が多い。(これは90代,00代初頭には考えられなかった!!なんだかんだ日本製が良いと思う人が多かった。)

 このようにムーアの法則に支配されてしまい、もはや斜陽?と言われるメーカーはこれからどうやって生き抜いていくのであろうか。非常に興味深い。