理系のキャリアを再考しつつ、色々と考える日記

少し変わったキャリアを歩んでしまった人が日々思うことをつらつらと書くblogです。

言語としての数学

 楽天の英語公用語化、外資系企業の進出拡大、買収ともはや日本にても英語を使わざるを得ない人は多い。本屋にいくと、英語はこう勉強しろ!みたいな本がよくある。それらの本は決まって、英語は語学だ!!、皆日本語使えるのだから、英語もできるようになる。だから頑張れ、と書いてある。同じことは、"言語としての数学"にも当てはめるべきだ。

 ある物理学者は"Mathematics is a language."(数学は言語のひとつである。)といった。(これをパロって某経済学者は"Mathematics is language."(数学は言語そのもの)と言った...) つまるところ、数学は学者の間では自然現象を表現するための言語の一種なのである。これが自然現象を記述する為だけの言語であれば、古代ギリシャ語と同じ様にマニアや学者だけが知ればよい言語なのであるが、数学という言語は学問の領域を超え、様々な分野を記述する為に使われてしまっている。

 簡単な例をあげれば、複利の計算であろうし、ファイナンス理論への応用。ひいては、工場の立地戦略、オペレーション戦略を表現するためにも使用される。最近流行りのビックデータ解析は統計学の世界だ。(その数学が戦略を決めるを参照)よって、ファイナンス、戦略やオペレーションをがちがちに学んで実務に活かそうと考えると、どうしても数学が学ぶ必要が出てくる。

 個人的には英語を学ぶことも極めて重要であると考えているが、数学を学ぶことも同じ程度に重要と考えている。しかし、どうも英語だけに偏りがち気がしてならない。某学者たちの発言の様に、数学も言語の一種であり、現代社会では必須の言語のひとつである。実務レベルのシンプルな数式よりも複雑な日本語が使えるなら、数学も使えるようになるはずだ。

 考えてみると言語としての数学と英語は非常によく似通っている。

1. 世界共通の言葉

2. 中学から習い、挫折する人が多い

3. 人によって求められるレベルが違う

4. "できる"の定義が非常に曖昧

5. はっきり言ってほとんどの日本人はなくても生きていける...

...類似性をあげていくときりがない。本屋にも数学は言語なんだから、誰でもできる頑張れ!、ビジネスマンには必須だ!みたいな本がないのはおかしいと思う。もっと、一般書店の数学コーナーは充実していて欲しいし、トーイックのような試験が流行ってもいいはずだ。なぜ英語ばかり協調されているのだろうか。海外に目を向けてみると、日本の英語教育論のようにSTEM分野(Science Technology Engineering Mathmatics)の教育論が盛んだ。我々は英語同様に、数学にもっと目を向けるべきだろう。とはいっても、10年前と比べると数学への関心は高まっているように思われる。(10年前は数学の一般書は今より本屋に並んでいなかった。)書籍、学校やオンライン教育がもっともっと充実することを願う。

 もちろん、数学も英語も、苦労し続けるのは確かだ。言語としての数学・英語は、学問として学ぶわけではないが一生苦労はし続けるだろう。最後に、数学ユーザーのアインシュタインの言葉を引用しよう。 『 数学で苦労していることを気にしてはいけません。私の方が数学でもっと苦労していることは確かですから(女子中学生のバーバラ・ウィルソンに、1943年)』。これはもちろん、英語にも当てはまる。