理系のキャリアを再考しつつ、色々と考える日記

少し変わったキャリアを歩んでしまった人が日々思うことをつらつらと書くblogです。

生物学と理論屋

 高校生物学は、暗記科目である。このような考えは皆の共通の認識であろう。高校で習う科目(正しくは大学でも)は全てが暗記科目であると言っても誤解は少ないと思う。勉学の基本は暗記である為、暗記する方法論を身に着けるだとか、理解を深め記憶に定着させるといった事を徹底すればどのような科目であってもマスターできるはずである。しかしながら、中学レベルの生物学が得意な人が高校ではその科目を苦に、そして高校-大学間でもこれは頻繁に生じる。

 なお、この学年が上がると苦手になるといった傾向は理科系の科目で顕著であると感じる。実際に、「大学の生物は高校の化学、化学は物理、物理は数学、数学は哲学」といった事はよく聞くことである。これは実際に学んだ身からも正しい考えであると実感する。したがって、高校生物が得意≠大学の生物が得意、を意味しないことはレベルが一段上がるという理由により至極全うな気がする。しかしながら、生物学に限って言うとこの考えは若干趣が変わってくる。なぜならならば、現代生物学はレベルが一段上がることよりも、問題解決に横断的・学際的な知識を求めるようになっているからだ。

 大学の図書館の生物学コーナーに行くと興味深いことがわかる。生物化学、生物物理、生物物理化学、分子生物学、生物工学...と生物学 x *****といった学問の教科書を見ることができる。興味深いことに全ての学問の研究対象は生物学である。しかし、研究手法が異なっているのである。そもそも生物学はほぼ博物学であったが、時代が進むにつれ分析手法が発展した為、「生物学」という単体での分析手法は持っていない。ほとんどの分析手法は他の学問の借り物であるケースが多い。

 よって、生物学を学ぶためにはその知識が必要なだけでなく、他の学問(物理学、生物、情報科学)の知識・考え方をマスターしていなければならない。この考えを無視して、「生物学」を1つの独立した科目ととらえて学習した場合に、理解が深まらず失敗する。最近は情報科学の手法が多く使われている。(バイオインフォマティックス)遺伝子レベルの分析を行った時には必ず必要である。

 しかしながら、多くの生物学愛好者(?)は情報科学を学ぼうとしない。彼・彼女らは実験が好きで得意ではあるのだが、その結果が意味するところを広く・深く考えようとしない。(正しくは理論・実験の役割分担ができていない。理論屋の数が少なすぎる。)物理学には理論屋と実験屋がいるのだが、生物学は兼任しているケースが多い。実験手法を考え、実行するには多大な労力が必要なため、頭を結果の考察に回すことは難しい。

 つまりこれからは理論屋が必要になってくるが、そのような人材は育っていない。もっとも、DNAの構造を提唱したクリックが生物学における理論屋の始めであるが、クリックのDNA提唱から60年しか経過していないことを考えると、理論屋が少ないのも仕方がない。(物理学はニュートン誕生から400年以上経過している)生物学はようやく、ニュートン時代を迎えたばかりなのであろうか。