理系のキャリアを再考しつつ、色々と考える日記

少し変わったキャリアを歩んでしまった人が日々思うことをつらつらと書くblogです。

几帳面な人、とよくできる人の関係(高校数学から考察する)

はっきりいて私は几帳面でなくズボラである。昔からケアレスミスは多く短期であった。短気は、怒っても意味ないなと気づいてから怒らない人になった。昔は、行動する前に一呼吸置こうとよく言われた。

なお、短期ではないが今でも一呼吸置くといったことは苦手でそれが原因でミスをよくする。

そこで、ミスをあまりしない几帳面な人について考えてみた。

几帳面な人や細かい人が仕事がよくできるわけではないが、概してよくできる人はある分野(仕事など)では非常に細かい。

ここまで考えているのか!!、ここまでするか?と驚くケースが多い。

しかし、彼らはある特定の分野で細かいのであって、全体として細かい、几帳面な人間であるわけではない。

これは高校の数学の問題によく似ている。

数学の問題は、センター試験レベルであれば計算間違いさえなければほぼ満点がとれる。国立大学の2次試験は部分点が貰えるので多少おおざっぱでも合格点が獲得できる。

つまり、高校数学、特にセンター試験レベルでよい点をとる人はただ単に細かい、ミスの少ない人であって数学が得意な人ではないということである。

(国立大学の2次試験で合格点をとるような人は、(ミスは多いかもしれないが)数学のスペックそのものが高いためセンター試験は時間に余裕をもって見直しをするので点が高い可能性は否定できない。)

それで、数学の得意な人は、正直計算はおおざっぱな人が多いと思う。どちらかというと、考え方、特に抽象的な思考がきめ細かい。

はっきり言って数学のできる人に限って、計算ミスやケアレスミスは多いのではないかといった印象だ。

彼らは抽象的な思考を好むため、具体的な値や記号というよりかは、より抽象的な概念を用いて物事を考えている傾向にある。その思考は非常に細かく、ある意味でかなり几帳面なものである。

つまり、計算ミスが少ない=数学が得意ではない、という結論に達する。

さらに拡張させればケアレスミスが多い、どの分野で多いのだろうか?一方、自分はどの分野では几帳面なのであろうか...と考えていけば、、救われる。

なので、几帳面でないので仕事が苦手だと思っていても、ある分野では几帳面なわけだから、仕事の分野や扱う内容が変われば結果はでるのではないかと考えている。

話は少し変わるが、おおざっぱな人は、計算が苦手なので物理などの計算重視の学問は向いていないと思われるかもしれない。これはまったくの誤りである。

むしろ、おおざっぱな人は物理学に向いている。湯川秀樹博士は、”物理学は論理の飛躍を求める”といった。中間子理論はまさしく論理の飛躍である。(博士の時代においては)論理の飛躍も甚だしい、ただのラディカルな議論とされた。しかし、論理を飛躍したからこそ、導き出された理論であり、結果的に論理もつながる素晴らしい理論である。(湯川博士の理論は、他の日本人ノーベル賞受賞者と比べてかなりレベルが高い。)

論理が飛躍する=話がとびとびで賢くない、といった印象を持つかもしれないが、湯川博士のこの言葉を聞いた瞬間は、なるほど、論理の飛躍は褒め言葉と私は理解した。

なので、私が思うにおおざっぱで論理も飛躍しがちな人は物理を学ぶと良いと思う。かくいう私は物理学が大好きである。

高校の授業も興味深かったが(しかし意味不明なことが多くお世辞にも得意科目ではなかった)、やはり面白いのは大学で扱う内容とガモフの本。(大学の物理学の教科書を読むとびっくりするくらい理解できるようになったのを覚えている。)

1,2,3...無限大、不思議の国のトムキンスは最高の本である。

読むたびに発見がある。私は仕事が苦手なので、疲れたときは1,2,3...無限大をたまに読む。新しい発見がある、(なぜか)少しは頑張れる気がしてくる。

ただの本を読んでいるのに、紙をペンを持って計算したり、図を書いたり、、図はきれいに書かないと思うほど几帳面になり本を読む。。

脱線してしまったが、人は皆、几帳面な一面を持ってるので、苦手と思っている教科や事柄も実際にやってみればよいと思う。